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いつの間にか太陽の位置は調査開始時から大きく変化し、間もなく夕暮れに差し掛かろうというとき、私の解読作業は終わった。
得たものは、大きな疲労と達成感。そして、
ある使命だった。
「……フ」
嘲笑が零れる。なんだ、そういうことだったのか。
何と浅ましい。何と愚かしい。
我々は、この私でさえも天空都市の真実を履き違えていたのだ。碑文は、後世へ我々の過去を、その業の深さを説くものだったのだ。
――天空に住まう者よ。赦しを乞う者よ。識るがよい。人が罪を放免しても、我らに刻まれし業は解かれぬ。
罪を忘れ、時を経て命を育めど、我らの咎は消えぬ。人を殺めた咎は消えぬ。
その身を亡ぼすより他になき。亡ぼして後初めて、我らは真に天空の民となろう。
天空の民よ。最果の地に流されし流刑の者よ。彼の地が楽園と思うなかれ。真の楽園は、その身を亡ぼした先にあり。
……そう、この天空都市は、リア・フェイスは。
流刑人の地だったのだ。罪を犯した者たちが、悔い改め、神に赦しを乞う場所だったのだ。そして罪を贖うために最後は自らの命を絶つことで罪を清め、真に神々に救われるとしたのだ。
恐らく、一つだけ趣旨の違う碑文は、死をもって罪を償うことを恐れた流刑人が記したものだろう。そうしたものは少なからず居て、その者たちは罪を清めることなく、購うこともなく、赦しを乞うこともなく子孫を繁栄させてきたのだ。
そして子孫たちはいつしか自分たちの都合のいいように解釈を変えていった。
まるで、自分たちは「神に許された民」であるかのように振る舞い「自身の罪を贖っていない」ことを否定した。
そうして、天空都市に住まう者は、いつしか自分たちを「罪なき無垢の者であり」、「それ故に神からこの地に住むことを許された特別な民」と誤認するようになっていったのだ。
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