「空を飛べそうな気がするから跳んで

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「空を飛べそうな気がするから跳んで

みるよ、ばいばい」 ――――彼はそう言って。フェンスの向こう側、絡めていたわたしの指をほどいた。まばたきを含んであなたを見つめる時間がストロボ写真みたいになって。たぶんきっとこの瞬間を忘れたりはしないだろうなんて思った。だって最期だっていうのはわかりきっているから。 やわらかく吊り上がった口許。少年が柔和な笑顔を浮かべてわたしを見る。いつもこのあたたかいまなざしを父親のようだと感じていた。それはどこか気だるさと安心感をはらんでいる。 そうして。 なにかが視界から抜け落ちた。唖然として幾度か目をしばたたいたのち、我に返ると景色から彼がぽっかり消えているのに気付いた。ごうん、と、ぐしゃり、なんていう音が混じって響いた方向を見れば、彼らしきものはすでに浮遊を終えて墜落してしまったようで、体と頭の周りに大きな赤い花を咲かせて真下のコンクリートに横たわっていた。じわりじわりと赤黒い血が滲んでいく。最近塗装されたばかりの真白いコンクリートを笑ってしまうほどに染めあげていく。――わたしは。 わたしは。 「――――あ、ああ、あ、あ、あ、あ、あはっ、あ、あは、あは、あはは、あははははは、あはっ」 座り込んだ地面に腿が触れて、その冷たさに歯ががちがちと音を鳴らす。否、コレはオソレなんだろうか。そういえば今は十二月。いつの間にか季節はこんなにもわたしの周りを駆け抜けていたらしい。 笑いながら、おかしいな、と思った。いったいおかしいのはどっちなんだろう。わたしなのか、あなたなのか。答えが欲しいと思った。でも、あなたはもういない。 だからわたしもあなたのそばにいくことにした。こんな汚い世界に嫌われた、歪んだわたしたちの愉快な末路。でもこうするしか生き方がないのだから仕方ない。 フェンスをよじ登って、降りもせずにわたしは勢い良く地面めがけて跳んでみた。嫌な光景が目に入る。それは先ほどあなたが見たセカイ。あなたがあんなに求めたセカイ。あなたをここまでおかしくしたセカイ。 なのに、ああ、こんなにも、やさしかっただなんて。 ……風が耳の近くで鳴っている。地面が近い。もうすぐわたしの命も尽きるだろう。涙が出る。こんなになるまで気付かなかったなんて。 わたしもあなたも、このセカイに愛されていたと気付かなかったなんて。
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