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双眸の蓋をおろした彼女の、柔らかな薄桃色の唇を、指先で、ゆっくりと、僕はなぞった。
穏やかな寝顔に、禍々しい赤が加わる。
まだ若い彼女に施された、恐らくは初めてであろう、化粧。
震える指で、拙く塗られる紅。それでもはみ出さぬようにと、僕は懸命に神経を注ぎ続ける。
「でき、た」
ほどなくして汗を拭い、呟く。横たわる少女は口紅のせいかずっと大人びて見えた。
白粉はまぶしていないが、肌はそんなものなど必要のないくらいにきめが整っており、白い。冬の縁側から臨む積雪を彷彿とさせる、きれいないろをしていた。
彼女は美しかった。
化粧をしたからではない。
容姿が美しい、と褒めるだけでは、足りないかもしれない。
彼女は心さえも綺麗だった。
全てにおいて、美しかった。
精神の清らかさは醸し出すものに滲み出、培われた知性は外見だけでなく、会話にも垣間見えていた。
姿勢は手折られることのない百合の、凛とした強さを思わせる。それでありながら、畳に腰を下ろして脚を崩し、時折浮かべていた微笑は、淡雪のように儚げで。
だからこそ彼女は薄命だった。
―――りん、
鈴の音が聞こえた。
最後の挨拶なのだろうか。
僕は静かに目を伏せ、その音に耳を澄ます。
鼓膜をふるわす、麻薬のような音。これきりの、もう二度とない、ただ一度だけの、オト。
「愛していたよ」
彼女は僕にとって、毒であったと言っても過言じゃない。
憂いを払ってくれる酒の味を覚えてしまっては、弱きひとはそれ無しで苦の峠を越えることが出来なくなってしまう。鈴を冠した名の少女は、弱かった僕のすべてを蝕む存在になってしまった。
そのやさしい浸食はきっと、彼女を失ったこれからも続くのだ。
「今はゆっくり、お休み。何れ僕も其方へ行くから」
満たされていた場所は、するりと抜け落ちるかのように欠落して、愛おしいその空洞は、君以外に埋めることはかなわないのだからと。
微笑みを落として、やっと、息絶えた彼女の顔に白い布を掛けた。抜け殻は、時を待たずに焼かれるだろう。
彼女はもう、此処には居ない。
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