その一 荒川正也の場合

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正也はジャケットを脱ぐなり敷きっぱなしの蒲団に倒れこんだ。実質的なクビ。ある程度は予想できて板のものやはり精神は磨り減っていた。 三年という月日は短いが色々なものが詰め込まれている。進んでいる案件の引継ぎや契約に関する手続きの簡略化など、やるべきことはたくさんあった。しかしそんなことよりも、これまでお世話になったお客へのあいさつ回りが何よりも辛かった。正也が会社をやめる明確な理由は言えるはずがなかったからだ。 正也はため息をついて携帯電話を手に取る。そして中のアドレスから高校時代からの友人に電話をかけた。自分の気持ちを吐き出したかったのだ。 プルプルプル。 携帯電話を耳に押し付ける。 プルプ、ガチャ。 「もしもしぃ」 騒々しい音に正也は携帯電話を耳から離す。 「どこにいるんだ?」 しかめっ面の正也は相手に見えない。 「どこって、居酒屋。今、合コンの相手待ち中なんだ」 「へぇ」 正也はそれが義務化のように声を出す。 「お、来たみたいだ。それじゃ、な、ツー、ツー」 正也はゆっくりと携帯電話を耳から離す。そして、折りたたむと、 ボフっ。 携帯電話を蒲団に叩き付けた。
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