妄想

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 突然、彼は何かに躓き床に片手をついた。危うく手に持っていた心臓を握り潰すところだった。  膝をついた体勢から顔を上げると、目の前に恐ろしい顔があった。まず目についたのは真っ黒な眼窩だった。眉はあるのだが眼球がくり貫かれており、まるで白目の部分が無いようだ。  山下はひどく驚いた。よく見ると鼻も耳も頭皮も無く、半開きの唇から見える口内には歯が一本も生えていなかった。その唇は、少しだけ笑っているように見えた。  額の上半分から真横に裂けた頭皮からは、桃色の大脳が覗いている。熟れた果実のような脳は、車両の電灯に照らされてらてらと光っていた。  その余りの異様さに山下は絶句した。肌の皺からその異形の者は老人だということが分かった。老人の口、鼻、耳の部分からぼたぼたと血が滴り落ちている。のっぺらぼうとは程遠く、顔を構成する部品がそのまま削げ落ちたようだった。  山下は思わず息を止めた。老人の手が頬に触れ、顔に息が当たった。およそ五秒間息を止め続けていると、再び山下は気を失った。
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