始まり

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それは…『初音ミク』の数多の分身の中の、たった1人。彼女のデータが偶然に負った、ほんの些細な傷から生まれた、物語… 時計が時を刻む度に、ほんの少しずつ、自分が壊れていくのが解かる。 …出せる音階は、日に日に少なくなり言葉は味気ない電子音のように、抑揚を失って。今は、マスターのことを『マスター』としか呼べなくなった。あの日、ボクをこのパソコンにインストールしてくれた、彼。 自分の所有者のことを『マスター』と呼び、敬語で話すように設定されていたボクに、落ち着かないからせめて『さん付け』で呼んでくれ、口調も敬語は無しで頼む、だなんて奇特なことを言った。 ……もう、その名を思い出すことすら出来なくなってしまった… 彼の顔が、眼の前に残像のようにちらつく。今はもう、マスターが笑っているときの顔を思い出すことが出来ない… 記憶に残っているのは、ボクが日に日にこの身を蝕まれていくのを必死に止めようとしてくれたときの不安げな顔、それが自分の手には負えないことに気付いたときの愕然とした顔、そしてボクの開発者まで含めたいろいろな人に訪ね歩いて、ボクの身体を蝕むバグがどうしても修復できないことを知らされたときの、絶望に染まった顔。 そんな、出来れば思い出したくない顔ばかり。そして……ボクはマスターのそんな顔すらも、もう随分と長い間見ていない。時間の感覚が無くなって来たから、それがどれくらいの時間なのかもよく解からないけれど………
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