夏の風物詩

2/2
前へ
/51ページ
次へ
「あなた、子ども達をお祭りに連れてって」  妻からの指示はいつも唐突に出る。僕は調べものを途中で断念せざるを得なかった。  ノートパソコンをたたんで階下に降りると、子ども達は既に浴衣に着替えて、はしゃいでいる。 「パパーっ、金魚すくいをやるんだからねっ」  広場の中央に組まれた櫓(やぐら)から四方に連なって下げられた提灯が生暖かい微風に揺れている。  子ども達はフランクフルトをかじってから、金魚すくいに興じた。僕は喫煙場所から遠目にそれを眺めていた。すると…… 『浩介さん』  不意に、思いもかけぬ女性から声を掛けられた。 「えっ? や、やぁ……」  妻と知り合う前に交際のあった、奈央との偶然の邂逅だった。 『幸せそうね』 「うん……君は?」  奈央は北海道へ行った筈だった 『いろいろあって、病気になっちゃって実家に帰って来たの』 「そうだったのか……」 『ねえ浩介さん。この次生まれ合わせたら、今度はあたしを幸せにしてね』 「えっ? どうしてそんな……」 「パパ、何ひとりごと言ってんの?」  八歳の息子が袖を引いて見上げていた。 「ん? この人と話してたんだよ」 「この人って? パパのまわりには誰もいなかったよ」 ―了―
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加