とある一日

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 その日、いつもより早く仕事が片づいたので幸太は珍しく定刻に退社した。  空が明るい内に会社を出るなんて久し振りだ。こんな時は麗奈を食事に誘おうか。ここのところ仕事が立て混んでデ-トもままならなかった。  携帯を開いて時刻を確かめる。  5時10分か。麗奈は手が空いただろうか? しかし突然では彼女にも都合があるかも知れない。まずはメールで……いや、待てよ。唐突な誘いを嫌う彼女のことだ。計画性の無さを咎めるかも知れない。  幸太は立ち止まり、煙草に火をつけた。  ふーむ。余計な事を考えずに、こんな時はDVD映画でも借りて帰ろうか。いや、待てよ。何か忘れているような気がする。業者への連絡に抜けは無かったか? 課長への報告と来週早々の会議資料の配布は社内メールに添付して済ませてある。大丈夫……な筈だ。  月曜日の午前中の会議は月例会議で、幸太の役割は課長の補佐役として詳細を訊かれた時に具体的な数字で受け答えすることだった。  部長からの指摘は手厳しいからなあ。 「楽観的な展望を聞いているのではない。改善の具体的な方策と手順を訊いているのだ」と来る。課長も大変だ。  幸太は、会議の席での質疑応答を漠然と想定しながら歩き、幾つかの信号を過ぎて、最寄り駅を通り越したことに気づいた。 「まあ、たまには回り道もいいだろう」  幸太は、入ったことのない道沿いの喫茶室のドアを押した。  入口に置いてある夕刊を手に取って、コの字形のカウンターの端に座ると、間もなく若いウエイトレスがメニューを持って現れた。なかなか愛嬌がある。  ブレンドコーヒーを注文し、煙草をくゆらせながら、細長くたたんであった新聞を開いた。一面に新内閣発足の記事が踊っている。  携帯の着信音が響いた。 「あたしです。こうちゃん、仕事は終わった?」  麗奈からだった。 「あ、うん。終わったけど」 「じゃあ、予定通り、ポートホテルのラウンジレストランに来てね。あたしの両親も向かってるから。ワイシャツの襟は汚れてない? 今回は民主党が勝ってくれて助かったわよ。公約通り、子供手当てが支給されるようになれば、あなたの給料でも安心して子供を産めるしね」 「う、うん。それは確かに……」 「あ、あなた、まさか今日のこと忘れてたんじゃないでしょうね?」 「えっ? じょ、じょうじゃん言うなよ。今、向かってるとこだよ」 ―了―
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