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「……私の身代わりになる者は、大丈夫だろうか」
アルテアの寝室にこもり、彼が脱出した後もまだ部屋に居るように見せかける役を、自ら買って出た若者の事を思い出す。
城に上がって間もない若者で、アルテアが名を訊ねると、はにかみながら答えた。
事が露見した時、若者の命はまず助からないだろう。
「大丈夫です、殿下。危険になれば、彼も即座に私と同じ場所に身を潜めます。衛兵達も強力してくれますから、大丈夫です」
「……そうか」
大丈夫と主に告げながら、レティアは彼の若者が、主の代わりに彼の為に用意された棺に入る覚悟を決めている事を知っていた。
だが、その事を主人に告げるつもりはなかった。
「殿下、そろそろ……」
人目に付き難い一角とは言え、誰がひょっこりやって来ないとも限らない。
レティアは声をひそめて主を通路の一角へと促した。
小さく頷いて、アルテアは地下へ繋がる狭くじめじめした通路へと脚を踏み入れた。
この地下深くに、城の下水道を兼ねた水路が縦横に走っている。誰も脚を踏み入れた事のない、地下の通路だ。
水の流れを辿れば、確実に城の外へと出る事ができる。
一歩脚を踏み入れたところで立ち止まり、アルテアは背後を振り返った。
レティアの灰色がかった青い瞳と目が合い、少女は軽く微笑んで、力強く頷き返した。
その瞳に後押しされるように、アルテアは地下の闇へと眼を向け、躊躇う事なく逃走の第一歩を踏み出した。
後はもう、振り返る事はなかった。
アルテアの姿はすぐに闇に飲まれ、レティアの視界から消え去った。
その姿の消えた闇に向かって、そっと少女は囁く。
「どうぞご無事で、殿下……」
ほんの暫しの間、その場に立ち尽くしていた少女は、全ての想いを振り切って踵を返し、城の上階へと繋がる階段を上がり始めた。
この先、城の内外で、またこの国中で、人々は苦難の道を歩む事になるだろう。
希望は全て失われたかに見える。
しかし反逆の種は、たった今、この場所より確かに地に撒かれたのだ。
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