第一章

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 すっかりお互いを気に入った様子の沙世と犬は、頭を撫でまくり、手を舐めまくりで、楽しそうにコミュニケーションをはかっている。その様子を眺める少年の眼差しも、ひどく優しい。 「この子の名前、琅って言うの?」 「そう。賢くていい子だろ?」 「いいなぁ。あたしも犬、飼ってみたかったなぁ」  羨ましそうな顔をする沙世の気持ちが判るのか、琅は過剰なくらいにサービス満点で沙世の手や顔を舐めまくる。 「散歩の途中? 近所に住んでるの?」  少年に訊ねながら、何となく違うと言う気はしていた。  犬は首輪を付けているものの、リードはどこにも見当たらない。  いかにもちょっと近所に散歩に出ただけ、と言った風情だが、それにしては沙世は少年にも犬にも全く見覚えがない。  案の定、少年から返って来た答えは。 「いや、コイツに付き合ってたら、思ったより遠くまで来ちゃってさ。この辺は初めてだよ」 「家、どこ?」 「日吉町」  少年の答えた地名に、沙世は目を丸くする。 「日吉町って、ここからバスで三十分近くかかるじゃない。まさか、そこから歩いて来たの?」 「うん。琅に付き合ってジョギングがてら」  少年は何でもない事のようにあっさり答えるが、ここから日吉町と言えば、直線距離でも六、七キロはある。大通りを通れば軽く十キロはいく。ジョギングがてらにちょっと、と言う距離ではない。  はー、と呆れと驚きの入り混じった溜め息をつき、それから沙世は少年に尊敬の眼差しを向けた。 「すごいわねぇ。あたしなんか、とてもじゃないけど日吉町まで歩こうなんて気には、なれないわよ」  考えるだけで、どっと疲れてしまいそうだった。  元々沙世はインドア派で、こうやって絵を描いたり本を読んだりしている方が性に合っている。 「でもさ、俺からすれば、絵を描ける方がすごいけどな」  にこっと笑って少年が言う。つられて沙世も微笑み返す。  何とも相手の自尊心を上手くくすぐるものだ。 「俺、美術の成績2だもん。絵が上手いヤツって、それだけですごいと思うよ」  そう言って、少年は沙世が膝に広げたままのスケッチブックを覗き込んだ。
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