第一章

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「沙世、その子は……?」  最初にその瞳に浮かんだのは、愛娘の傍にいた見知らぬ少年に対する警戒の色。  しかし、それは少年の足元に低い姿勢で構えた琅の姿を見た瞬間、全く別のものへ変わった。  それは驚愕と――得体の知れない昏さを秘めた、まとわり付くような粘っこい視線。 「お父さん?」  訝しげに訊ねる娘の声さえ耳に入らぬ様子で、沙世を押し退けるようにして、少年の方へ踏み出した。 「君、ちょっと! その犬、見せて……」  しかし皆まで言わせずに、少年は素早く踵を返し、琅もそれに従った。 「それじゃ、またね」 「え?」 「君……! ちょっと待ちなさい!!」  困惑する沙世と、追い縋ろうとする父親をその場に残し、少年と犬は木立の中に踏み込んで、あっという間に姿を消した。  突然の行動に呆然とする沙世に向かい、父親が噛み付くように訊ねた。 「沙世! あの子は知り合いか!? どこに住んでいる!?」 「え? お父さん、どうしたの?」 「いいから答えなさい。あの子は知り合いなのかね!?」  沙世の問いなど全く無視して、沙世の肩を掴み、乱暴に揺さ振りながら訊ねる。  これもまた突然の父親の変貌に、沙世はひたすら困惑するしかない。 「お父さん……?」 「あの子はどこの子だ? 知り合いなんだろう!?」 「さっき逢ったばかりだってば。頼んで、犬のスケッチさせてもらってただけ」 「スケッチしたのか? 見せなさい!」  沙世の返答も待たずにその手からスケッチブックをひったくり、もどかしげにページをめくると、父親は琅のスケッチを貪るように眺め始めた。  その妙にぎらついた瞳に、沙世はびくりと肩を竦める。  こんな父親の姿は見た事がなかった。実の父親なのに、毎日見飽きるくらい顔を突き合わせる相手なのに、恐いとさえ思ってしまう。  しかし、父親は沙世の存在さえ忘れたかのように、スケッチを食い入るように見つめているだけだ。  時折ぶつぶつと何か呟いているその様子までもが、どこか背筋を寒くする。
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