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まるごとの魚は嫌いだった。ぬめぬめした鱗や、こちらを恨めしそうにみつめる眼が苦手だった。
切り身は大丈夫、でも皮は食べない。開きはぎりぎり、裏返してなら。そんなあたしのわがままっぷりにママはいつも呆れていた。将来子どもが出来た時に好き嫌いしちゃダメって言えないわよ、なんて。
だけどあたしはまだ結婚すらはるか遠い未来のことだと思っていたし、ママだって生のトマトが嫌いなのを知っていた。だから魚が食べられないくらいで困るなんてありえないって思っていたんだ。
「やっぱり魚は七輪で焼くに限るよな」
「う、うん」
なのに何の因果か最近付き合いはじめた彼氏は漁師町の出身で、大の魚好きだった。大学からすぐそこの定食屋でほっけの開きやらさばの味噌煮やらをおいしそうに頬張る姿を見ながら、あたしはいつも冷や冷やしていた。いつか彼は気づいてしまうかもしれない。あたしが必ず野菜炒め定食を頼むのは体重を気にしているわけじゃなくて、魚が苦手だってばれないための苦肉の策だって。
そして最大のピンチは予想よりずっと早く訪れた。
彼の実家からさんまが送られて来たから、うちで一緒に食べないかって誘われたんだ。彼の住む築三十年のアパートはおんぼろだから恥ずかしいって、会うのはいつも外だったのに。初めてのお呼ばれは嬉しいけれど、生のさんまなんてあたし、怖くてたまらない。
「あたし、料理とかしたことなくて……」
「大丈夫大丈夫、俺が全部やるから塔子は座ってて」
そう言って彼はベランダに置いた七輪に網を乗せた。あたしはどうしようと思いながらも、もくもくと上がる煙の中で楽しげにうちわをあおぐ彼に一瞬みとれてしまう。
ああ、やっぱりこの人が好き。
嫌われたくないなあ。
そう思うと、あたしは死ぬ気でさんまを食べるしかないと決めた。焼きあがったさんまに、大根おろしと醤油をかけて。なるべく目を合わさないようにして小さな一口を頬張った。
「んん……おいしい!」
香ばしさの中に、たっぷりと脂の旨みが溢れてくる。さんまって、こんなにおいしかったんだ……。
思わず白いごはんをかきこんだあたしに彼はにっこりと笑う。
「秋といえば、さんまだからな」
その笑顔が眩しくて、愛しくて、くらくらしてしまう。
ママ、あたしやっぱり頑張るよ。
彼といつか結婚してそして子どもに好き嫌いしちゃダメよ、って言うその日まで。
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