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肌寒い、秋の朝だった。
彼はふてくされたような表情と、ボストンバッグひとつ分の荷物でやって来た。
私はといえば洋服やら食器やら靴やら、細々したものを詰め込んだダンボールに囲まれて途方に暮れていた。昔から、整理整頓が苦手な子どもだったのだ。
「散歩に行かないか」
彼の提案に半ば呆れながらも従ったのは、行き場を待つ荷物たちの期待が重く感じられたからかもしれない。何はともあれ私たちは、まだよそ行きの顔をした街並みをきょろきょろと見回しながら歩いた。
瞳に映るものすべてが目新しく感じるのは、最初の数日だけだということはわかっていた。やがては日常という名のぬるま湯に首まで浸かり、非日常への憧れを口にするようになるだろう。それでも今だけは、こうして旅人のようにさまよい歩いていたかった。
「いいところだね」
「うん、悪くない」
肩を並べて歩くと、彼はいつも車道側を選ぶ。その自然な振る舞いを好ましく感じたのが、この恋の始まりだったように思う。くっついたり離れたりを繰り返したけれど、いつの間にかまた隣りにいるのは彼だった。
私はそっと彼の手を握る。同じ強さで握り返してくる手のひらの温かさをいとおしく思った。手を繋いだまま微笑みあえば満ち足りた気持ちになる。豪華な料理や豪奢なドレスなど、私たちには必要のないものだ。
両手に抱えきれないほどの大きな幸せは、一生に数回で構わない。残りは小さな幸せをひとつずつ積み上げながら、ゆっくり歩いて行けばいい。
「今日から、よろしくね」
「こちらこそ」
繋いだ手から伝わる体温は、どこまでも優しかった。私は、穏やかな気持ちで微笑む。
私たち二人は今日から家族になった。
そしてこの街に馴染む頃、また一人家族が増えるだろう。
私のワンピース越しのかすかなふくらみを彼はそっと撫でた。小さいけれど、大きな幸せがそこには詰まっている。
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