第八回「新年」

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 やっぱり、来なければ良かった。香織は心の中で呟くと、ぬるくなったビールを飲み干した。  視線の先では必要以上に着飾った女たちがけたたましい笑い声をあげている。輪の中で居心地が悪そうに微笑んでいるのは、香織が学生時代に思いを寄せていた聡だった。  みんなが帰省する時期に合わせて新年会を兼ねた同窓会をやろうと誘われたのは、去年の十一月。昔からまとめ役を買ってでることが多い恵の提案だ。女友達の口から聡も来ると聞いた時には胸を踊らせ、例年の倍の荷物を抱え新幹線に乗った香織だが、考えることはみな似たり寄ったりだったようだ。  シンプルでありながら上質なカシミヤで作られた黒いツインニットも、脚を綺麗に見せてくれるブーツカットのジーンズも、色とりどりのワンピースや露出の高いミニスカートの中では埋もれてしまう。まるで、三つ編みを揺らしていた高校生の頃に戻ったかのようだ。あの頃も聡はみんなの人気の的で、香織は彼を遠くからみつめているだけだった。 「新年早々、浮かない顔だな。どうした?」  もう一度ため息をつこうとした香織のコップに、瓶に入った金色の液体が注がれる。はっと顔を上げれば、三年間同じクラスだった洋介が笑っていた。 「何でもないわ」 「相変わらず、嘘が下手だな。羨ましいなら、竹下も行けばいいのに」  洋介の勘の良さに、香織は細い眉をつりあげた。彼は人の良さそうな丸顔に似合わず、いつも誰かの異変を最初に感じ取る男だった。卒業後は父親の経営する酒屋を手伝っているはずだ。きっと、客の受けも上々だろう。 「いいの、別に」  香織はふい、とそっぽを向いた。低い忍び笑いがやけに照れくさかった。 「じゃあ、俺にしておく?」 「え?」  ひとしきり笑った後に洋介からかけられた言葉は、香織の大きな瞳を丸くさせた。目の前の男は、柔らかな眼差しで彼女をみつめている。そちらこそ新年早々、冗談が過ぎると言い返したかったが、茶化すのが躊躇われる雰囲気だった。 「……考えておく」  ようやくそれだけ言うと、香織はコップの中身を呷る。先ほどは不味いと思っていたビールは冷たく喉を滑り落ち、火照った顔に心地よい。  女たちの声は、いつの間にか気にならなくなっていた。
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