24人が本棚に入れています
本棚に追加
/48ページ
彼女はいつも、ひどく一人だった。
周りから疎まれているわけでもなく、彼女自身も級友との会話で笑みを浮かべることもあったが、その横顔は遠い。
私はいつも少しの恐れと、そして憧れを持って彼女の形の良い耳を、長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳を、薄紅色の唇をみつめていた。
「……早川くん?」
透き通った声が、私の名を呼んだ。
はっと我に返り立ち上がれば、西日の射す教室には空の席ばかり。教科書の影に隠した読みかけの本に夢中になっているうちに、ホームルームまで通り越して放課後を迎えてしまったらしい。くすくすとひそやかな笑い声が私の鼓膜を揺らす。
それが彼女のものだと気づいた時、私の頬は一瞬にして熱を持った。
「そんなに、面白い本なの?」
夏服の、白いカッターシャツに汗が滲む。
私はどう答えたらいいかわからず、しおり紐を挟んだ文庫本を彼女に向かって差し出した。やや黄ばんだ白に、オレンジの文字。古本屋で安く買い求めた一冊だった。
「これ、読んだことある」
「え……」
「私だって、本くらい読むよ」
淡く微笑んで、彼女はページを操る。細い指が、変色した紙をなぞってゆくのを私はぼんやりと眺めた。
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越して来たら」
物語の中の一節をそらんじた彼女は、いつもよりずっと近くて、どうしようもなく美しかった。
おとなびた表情の中で、きらきらと輝く二つの瞳が情熱的なヒロインと重なって、そして――。
「あの時のあなたってば、おかしかった」
酔った耳に、囁く声が重なる。
「机を飛び越えようとして、つまづいて……」
「もう、その話はやめてくれよ。恥ずかしい」
艶やかな桃色の唇が、笑みの形に引き上げられる。
私はそれを、自分の唇で塞いだ。しなやかな腕が、首に絡み付く。
「でもそんなところが、新治みたいでよかったの」
湿り気を帯びた声色に、私は目を見開く。はにかんだ微笑みは、少女のようで。
抱きしめた彼女の熱を、私はうぶな少年のようにただひたすらに感じていた。
遠く聴こえるのは、波の音。
漁火の代わりに揺らめくのは、コテージの篝火。
遠く離れた異国の地で、私はかの文豪の作品を思い浮かべていた。
最初のコメントを投稿しよう!