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それは、二月の第三木曜日のことだった。
朝から熱っぽくて、さては昨日引っ張り出した薄手のコートのせいだな、と後悔していた。暦の上では春で、ショーウインドーにはパステルカラーの洋服が咲き乱れていて、だから少しだけ浮かれていたのだ。
結局一昨日と同じ黒いショートダッフルを羽織った私は、午後の授業を自主休講することに決めた。
人口学の教授、今日は出席を取りませんように。そう思いながら帰り道をふらふらと歩いていると、視界の端を白いものが横切った。
「……ハナ」
思わず口にした名前に、それは一瞬足を止め、振り返る。毛づやの良い白い体に、綺麗な青い瞳。そして、かぎしっぽ。
かつて我が家のアイドルだったあの子だ。
しかし。
私はぼうっとする頭を軽く振る。
しかし、ハナは私が中学に上がる頃に忽然と姿を消した。あれから七年。まさか、今頃になって彼女が出てくるわけがない。
――にゃあ。
短い鳴き声は、私を更に混乱させる。ハナにそっくりの高い声。
再び歩き出した後ろ姿を、私は慌てて追いかける。アスファルトの上を音も立てずにモンローウォーク。しなやかな体は、誘うようにくねる。
まるでチョッキを着た白うさぎを追いかけるアリスのように、私は段々と足を早める。細い路地を抜け、ゆるやかな坂道を上り、弾む息はそのままに。
ねえ、ハナ。
あなたはどうしてうちからいなくなったの?
一人で、どこへ行ったの?
あの頃いく度となく呟いた疑問が蘇り、私は潤む瞳を懸命に見開いて白い影を追う。
長い上り坂のてっぺんにたどり着いた時、啜りあげた鼻水と一緒に優しい香りが飛び込んで来た。覚えのあるその柔らかな香りと、目の前に広がる光景に私は息を呑む。
寂れた公園の、遊歩道。
色の少ない冬の景色。
しかし、少しだけ視線を上に移せば。
灰色がかった枝に咲き誇る、たくさんの花。伸びやかに天を目指す白梅は、近づく新しい季節のあかし。
――にゃあん。
甘えるように響くハナの声が、ゆっくりと心地好い香りに溶けてゆく。
ああ、ハナ。
あなたはもう、いないんだね。
七年かかって受け入れた喪失感は塩辛く、だけれど仄かに甘い涙の味がした。
もうすぐ、春が来る。
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