航空母艦《正規空母》

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瑞鶴 幾多の海戦でも被害僅少の幸運艦 建造所/神戸川崎造船所 太平洋での闘いに参加した日本空母は全部で二十五隻だが、ミッドウエー海戦を除くと、全ての機動部隊作戦に参加した空母が「瑞鶴」だった。 「瑞鶴」は「翔鶴」型空母の二番艦として、神戸川崎造船所で昭和十三年五月二十五日に起工された。 竣工は半年前に起工された「翔鶴」と一月の違いしかなく、造船所や艤装を行なう工廠での努力は並大抵のものではなかったという。 本型二空母の戦力化が対米開戦時期を決める要因だったからである。 無条約時代に入ってからの設計なので無駄な制約無しで行なう事と、十分に蓄積した空母運用経験をも盛り込んだ為に、防御面を見逃せば完成度の高い空母であった。 「翔鶴」との外見上はメインマスト中段に大型スピーカーと、飛行甲板の「ス」の識別表示(「翔鶴」は「シ」)の程度で外見上の識別点は少ない。 開戦前から「翔鶴」と第五航空戦隊を編成し、真珠湾攻撃からラバウル・ポートダーウィン空襲・インド洋作戦に参加した。 日米海軍は珊瑚海海戦・ミッドウエー海戦・第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦・マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)の六回の空母戦闘をおこなったが、本艦はミッドウエー海戦を除く海戦に参加しているが、姉妹艦の「翔鶴」が珊瑚海海戦や南太平洋海戦で損傷して戦線離脱をするなか、本艦は被害を受けずに「翔鶴」が沈んだマリアナ沖海戦で初めて戦死者を出している。 珊瑚海海戦では攻撃が「翔鶴」に集中するなか、スコールの雨雲に潜り込み、被害を受けなかった。 「翔鶴」の損傷でミッドウエー海戦には参加しなかったが、第二次ソロモン海戦では「龍驤」が沈み、南太平洋海戦では「翔鶴」が爆弾四発を受けても、「瑞鶴」は無傷だった。 画像は、レイテ沖海戦での対空戦闘。 手前には秋月型防空駆逐艦。image=286782765.jpg
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