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海軍軍縮条約には、大正11年のワシントン軍縮条約と昭和5年のロンドン条約の二つがある。
ワシントン軍縮条約では主力艦の建造を制限された日本海軍は、5対5対3(米・英・日)のバランスを有利にすべく、同条約では制限されなかった補助艦艇の建造に力をそそいだ。
同条約による補助艦艇とは基準排水量1万トン以下で、備砲は8インチ[20・3㎝]以下に定められていた。
すでに20㎝砲搭載艦として古鷹型・青葉型・妙高型を建造及び計画していた日本海軍は、性能的に条約制限の高雄型四隻の計画に取りかかった。
また、制限のなかった駆逐艦を大型化して、八八艦隊計画で整備された峯風型駆逐艦よりも航洋性が高く、戦闘能力の高い特型駆逐艦を生み出した。
軍縮条約をうけて、日本海軍は潜水艦による「漸減邀撃作戦」を策定した。
5対3で不足する2を補う為に航続距離の長い巡洋潜水艦が出港から敵艦隊を偵察し機会を捉えて攻撃する。
さらに、艦隊高速潜水艦(海大型)
をアメリカ艦隊の進路予想海面に展開し、アメリカ艦隊を見つけたら昼間は機会を捉えて攻撃し、夜間はアメリカ艦隊の前方に進出して、再び待ち伏せを繰り返す戦術を策定した。
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