太平洋戦争の頃の艦艇群

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決戦前には、巡洋艦と駆逐艦で構成された第二艦隊が夜戦を挑み敵戦力を削減して、敵艦隊を味方主力の第一艦隊の方向に導いて、味方有利な状況下で決戦に及ぶものとした。 のちには、空母機動部隊による敵空母への先制攻撃の構想も加わった。 日本海軍の強力な巡洋艦と駆逐艦に脅威を感じた英・米は、昭和5年に再び海軍軍備制限会議をロンドンでにて開催し10・10・7の補助艦艇制限が決定されたのであった。 この会議では特型駆逐艦も議題に上がり、特型例外として(各国でも嚮導駆逐艦②として大型駆逐艦の建造は行われていた。)2000㌧にも達していた排水量を1500㌧に制限された。 また重巡洋艦の建造は日本海軍が先行していたため新規建造は認められず、巡洋艦は備砲により排水量は関係なく上限1万トンで8インチ砲搭載艦が重巡洋艦、6インチ(15・2㎝)砲搭載艦が軽巡洋艦として分類された。 排水量的に重巡洋艦と変わらないが、軽巡洋艦とて扱われた艦艇が日本海軍の最上型で、15㎝主砲を三連装五基装備して、基準排水量は12400㌧にも及んだ。 二番艦は建造中に起きた友鶴事件により、大型艦橋構造物(高雄型に類似)を縮小するなどの設計変更があった。 アメリカ海軍では最上型に対抗してブルックリン型が建造された。 主砲配置は最上型と同様で排水量は9700㌧ に達していた。 筆者の個人的な考えでは最上型の主砲の換装について、8インチに変えないで6インチのままで、手数で勝負した方がよかったような気がしますが…
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