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「調伏ではなく」
「はい。大宰府(だざいふ)に戻っていただきたいのです」
「時平が血にでも頼まれたか」
にやにやと笑うタケミカヅチに晴明も笑う。
笑って、答えた。
「まあ、藤原から言われたのもありますが、半分は私の意志ですよ」
「ふうん。では管楽(かんがく)の申し子のためだな」
「おや、知っておられたのですか」
驚いた様子の晴明に一応はな、とタケミカヅチは酒を喉に流し込む。
空いた杯に酒を注ぐ晴明を見ながら答えた。
「天上から天の管楽が鳴り響き、瑞雲を伴ってこの世に生まれた管楽の申し子。彼が笛を吹けば妖(あや)かし共は心打たれ悪さをしなくなり、彼が琵琶で名曲を弾けば誰もが涙すると聞く」
「ほう。天にもその名が轟いておりましたか」
「私も聞いたことがある。良い腕だ……」
たしか吹いていたは朱雀門だったかな、とタケミカヅチはぼやいた。
そうですか、とにこにこと笑みを浮かべながら、晴明はぽんと手を打つ。
「呼びましょうか」
「いや。来るだろうよ」
「なぜ分かるのじゃタケミカヅチ」
怪訝な表情を浮かべて問うウカノに、ほろ酔い気分のタケミカヅチは笑う。
笑って、勘だ、と答えた。
来そうな気がするのだと。
酒を持ってきそうですねと晴明は笑うと、おや、と表情を変えた。
晴明はにこりと再び笑みを浮かべる。
「タケミカヅチの言うとおりでございますよ」
「一条戻り橋を通ったか」
「なんと、まことに来るのか。わらわらはどうすれば良いのじゃ晴明」
「そのままでよろしゅうございます、ウカノミタマノカミ」
あの男は気にしませぬ、と晴明は減っていなかった己の酒に口をつけた。
気にするどころか気を遣いがちがちに体を固めそうだとタケミカヅチは笑った。
やがて、おおい晴明、と表から声がかかる。
晴明が袖を振ると下女のひとりが頭を下げてから表へ出た。
一言二言、言葉を交わしたのだろう。
時間も掛からず、のしのしと縁側を歩く音が聞こえてきた。
「やや。誰ぞと酒を飲んでいたのか」
「ああ。そことそこにおられるよ」
杯が置いてある床を指差し説明するが、彼は首を傾げるばかり。
ああ、この男もかとウカノは呟いた。
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