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他には何も望まない。だから。
一一逢いたい。
貴方の遺作を抱いて。
あの日のように。
天を舞う雪に、私は願った。
森の中でも雪がちらつく。
雪化粧した木々の隙間を縫って遥か上空から飛来した斜陽は、雪に反射して、まるで薄紅色に発光しているようだった。
服が少し破れている。
黒色が基調のコートは、大量の水分を吸って鉛のように重い。
加えて枝の先が肌を掠めて、僅かだが所々血が滲んでいた。
「お気に入りのコートだったのに」と口を尖らせてみても、もう家に帰るつもりも、この服に袖を通すつもりもないことを思い出すと途端に興味が失せた。
果たして、私はどれくらいの時間を歩き続けたのだろう。
棺に横臥し、千々の花に囲まれて眠る貴方を見て、衝動的に駆け出してきたのが昨夜のこと。それからアテもなく歩き続けて、半日以上が経った。
明け方、東の空がかすかに紫を帯びた頃も、まだ牡丹雪が降っていたことは辛うじて覚えているが、それ以降は記憶が不鮮明で、いつ森へ入ったかもよく判らない。
森を彩る白雪は、紅紫に染まっていた秋色の一切を埋め尽くし、地面に落ちた葉が生きていた証を無慈悲に隠していた。
ぐらりと視界が揺れた。
先ほどからやけに身体が火照って、目が眩んでいる気がする。
一歩踏み出す度に視界は大きく揺れ、純白の景色が益々明度を増していくような感覚に陥る。
先まで深紅だった斜陽は段々と白んでいき、今の私には淡い桃色に見えていた。
革靴に侵入した水分は常軌を逸脱し、痛みを通り越して何も感じなくなっていて、しかし私はそれでも歩みを止めることはしない。
止まってしまえば。
振り返ってしまえば。
もう貴方が一一この世界にいないのだと理解してしまうから。
森の中は怖いほど静謐で、私が積雪を踏み締める度に起こる雪鳴り以外は、生命の息吹きさえも感じられない。
森へ来るまでに見た商店街は、あと一ヶ月と迫ったクリスマスに向けて、確実に賑やかさを増していて、何だか私がまるで違う空間に迷いこんだような気がする。
ここは生命の気配もない。
しんしんと降り頻る雪は森の空気を凍てつかせて、私の思考を曖昧なものへと落としていく。
一一私、死ぬのかな。
混濁する意識の中で、ふと貴方の姿が脳裏によぎった。
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