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退魔師は僧階(地位)が低くてもなれるが、封魔師は阿闍梨以上の修行を積まないとなれない。」
「くそ、なんで、こんな事に、なったんだ
俺が何をしたって言うんだ。」
「これは、呪いだ、怨念つまり怨みじゃない
俺達に原因が、あるわけじゃないかもしれない。」
「怨みと呪いは、違うのか?」
「テレビや映画で同じ扱いになってるから、区別がつかなくなってるのも仕方ないが、怨みは被害者が加害者に対し抱く悪感情だ。
それに対して呪いは、悪意が強力に集約されたものだ。
嫉妬、歪んだ愛情、不満、挫折、これらが、強力に集まりエネルギーに変化する。
だから、返って厄介なんだ。
例えば、世の中に対して不満を持ってる奴が、そのはけ口に特定の人間を選んでしまう。
これだと、ほとんど通り魔殺人と同じで気をつけようがない。
または、特定の目的に異常に執着する奴が、その目的のために誰かを呪う場合もある。
呪いが本当に厄介なのは、呪われた人間が呪われた事に気付いていない事なんだ。
特に今回の場合、もっと複雑かもしれない。」
「どうゆう事だ」
「デモニッシュ(悪魔崇拝)が絡んでるかもしれない」
「なぜ、そう言える」
「確証は、ないんだが、あえて言うとすれば、あの十字架だ」
「十字架?
そんな物がどこに」
「あの霊能者が空中で、磔のように、なったのを見ただろう」
「た、確かに、しかし十字架はキリスト教じゃないのか?」
「そうだ、
しかしキリスト教と言うのは、我々が考えてる以上に複雑な宗教だ。
十字架は最初からキリスト教の信仰の対象では、なかったんだ。」
「そ、そうなのか」
俺は初めて聞かされた話に、びっくりした。
「まあ、そんな事誰も取り上げないからな
キリスト教が十字架を信仰の対象とされたのは約4世紀、キリスト生誕から約600年の年月が経ってからなんだ
その時期は、ある歴史的出来事とリンクする」
「ある歴史的出来事?」
「キリスト教を迫害続けたローマ帝国の皇帝コンスタンティノス一世が、キリスト教に改宗し、保護を始めたのが、ほぼこの時期なんだ。」
「コンスタンティノス一世ってのは、キリスト教で聖人と言われている人だろ」
「コンスタンティノス一世は何かの啓示をうけてキリスト教に改宗したと言う建前だが、そんなもんで簡単に改宗するわけない。
宗教と言うのは俗世の権力と密接に結びついてるもん
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