孤独な家族

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私たちは母の実家の近くに家賃6万のマンションを借り2人暮らしがスタートした。 これまで大きい一軒家で金持ちのお嬢様をしていた私と高級車を乗り回していた母はこんな生活は慣れない。 みじめな生活な母がかわいそうに思った。 そして私もこんな生活のギャップに耐えられなかった。 そして1年も経つと私の長い反抗期が始まる。 母は仕事に私に必死だったが、私はそれに応えられない。 朝は母が仕事先に出るので、私は中学2、3年生の間はまともに行くことはなかった。 でも心配かけるのも嫌だったので学校行っているふりはするが通信簿の遅刻と欠席と早退の欄を見て悲しませた。 まともに行った日はほとんどない。 でも母の愛情が注がれている私は将来はまともに戻れるように短大まではしっかり出ようという強い意志をもっていた。 しかし学業を怠っている私は成績がよくない。 公立だとかなり印象のよくない高校しかいけないと学校の先生に母が言われた。 母は一生懸命働いた。 私を守ることで必死だったのだろう。 しかし私は相変わらず母の気持ちにそむけていた。 だが、そむけている自分も嫌だった。 そして私なりにいろいろ考えた。 進学は絶対したい。面倒を怠らない学校に進学したいと言った。 多分今思えば愛情に飢えていたのだろう。 母は頑張って私立の女子高に入れてくれた。 そこは校則はかなり厳しいがその分、先生と生徒の距離がとても近く、何十人もいる先生たちは、目立ってしまう私をいつも気にかけてくれた。 16歳の私はやっと友達ができた。 学校の友達はみんなさっぱりしていて大人で明るく、気が強く自分を持っている子が多かった。 そして海外に姉妹校があったりと私の視野は広がりいろんな日差しが注がれた。 私はそんな学校に入れてくれた母に感謝しつつ、反抗期は終わらない。 地元につくと近くに住む暴走族と同等に毎晩遊ぶ。女は私だけだがみんな同じように男扱いして悪ふざけに毎日夢中になった。 そんな中、母はがんばって働いた。 家も引っ越した。家賃15万! 早くお母さんと仲良く話せるように戻りたいと思いながらも毎日遊びほうけていた。
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