†日常

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「この大空に、翼を広げー飛んでいきたいよー……」 淡い桃色に色付いた花弁が渋い赤れんがを彩るある昼下がりの路地裏。 何処からか気の抜けた鼻唄が聞こえてくる。 「悲しみのないー、自由な空へ、って何するんですかー先輩」 桃色の絨毯に影が二つ。どうやら音の主はこの二人のようだ。 突然大きな影が伸び、手に持ったビニール袋でもう一方を殴る。弧をえがいたビニール袋にはカフェオレの缶コーヒーの影が。鼻唄の男の柔らかそうな黒髪目掛けて一直線に飛んでいく。 スパコーン、という効果音がぴったりの会心の一撃。クリーンヒットだ。 再び、気の抜けた声が響き渡る。若干、怒気を含んでいるのか、少し声のトーンが落ちていた。 「痛いっすよー。てか、そのビニール袋何入ってるんすか。痛みが尋常じゃないんですけど。」 頭を抱えてうずくまる小柄な男の名は、斎藤悠利。小さな総合病院で働く医者である。 カラーコンタクトでも入れているのだろうか、紫色の大きな瞳が潤んでいる。 運悪く、坪にでも缶コーヒーがヒットしたのだろう。死ぬ、だの、気絶する、だの医者としてどうかと思われる発言を連発したかと思うと、今度は泣きまねを始めた。 その様子はさながら子供が大人に駄々をこねるよう。通行人の視線がいくつも突き刺さっているが、気にも留めていないようだ。天然か、それとも確信犯か。不透明な紫色のレンズは、光を透さず、濁っている。 「……いつまで頭抱えてやがる。行くぞ。」 ため息と共に不意に頭上から声が降ってきた。しゃがれたハスキーボイスの持ち主は、悠利の上司中田光義。 悠利と同じ病院で働く医者だ。
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