生命

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「……赤ちゃん、産んでほしい。だから、俺と結婚して下さい」 准汰は目の前の茶色いドアを見据えたままプロポーズをした。 本当はもっとムードのある場所で高価な指輪を用意して、沙夜の瞳を見つめながら、洒落た言葉で伝えたかったが、結局はシンプルなプロポーズだった。 「うん」 沙夜は背中越しに了承すると泣きじゃくった。准汰の背中に沙夜の涙が溶けていく。 この時、准汰は悟った。 きっと沙夜は、今まで誰にも相談できずに一人で不安と戦っていたのだろう、と。 それは心細かっただろう。 准汰の応えに脅えていただろう。 准汰は沙夜の両腕を解くと向き直り、やおら抱き寄せ誓った。 「二人のこと、絶対幸せにするから」 「うん」 沙夜は頷くと、今度は准汰の胸の中で号泣をした。准汰はそんな沙夜の頭を何度も何度も優しく撫でてやった。 それは准汰の中に、愛、というものが芽生えた瞬間でもあった。 抱き合ったままどれ程の時間が経っただろうか。沙夜は泣き止むと顔をあげ、照れ臭そうに准汰と視線を合わせた。 その顔は涙の跡でぐしゃぐしゃになっていたが、とても美しい顔をしていた。 准汰は沙夜の前髪を掻き上げると額にキスをし、それからやおら屈むと沙夜のお腹に耳を当てた。 「どんな名前にしようか」 准汰が言うと、まだ早いよ、と沙夜は笑顔で言った。そして准汰の頭を愛おしそうに撫で回した。 それは二人にとって、とても、とても、幸せな時間だった。
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