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「お父さん、お腹は空いてない? 勤め先から賄いの残りを貰ってきたの。スパゲティーとハンバーグよ。豚汁もあるの。お腹が空いているのなら、直ぐに暖め直すわ」
「いつもすまないねぇ、お父さんがこんな体のばかりに……」
「お父さん、それは言わない約束でしょ……」
憑き姫の口調は、随分と優しそうな喋り方だった。いつものクールな口調とは正反対である。優しさと思いやりが満ちている。
それ以上に昂輝を驚かせたのは、憑き姫が話している相手が父親らしいことだった。
だが、よくよく考えてみれば不思議なことではない。
憑き姫に両親が居ても不思議な話ではない。寧ろ居て当然である。
「……」
何故か昂輝は、罪悪感に胸が痛くなる。自分は何をやっているのだろうと後悔した。
音を立てないように昂輝は後退して行った。アパートの階段を降りて行く。
憑き姫にもプライドがあるのだろう。気高い少女だ。
わざわざ高級マンションに住んでいると嘘を付き、真実を偽った。あんなに幼いのにヴァルハラ探偵事務所で働いている理由も嘘ぽい。飛び級しているとは思えない。病気の父が居ることも内緒にしていた。
まだ知り合って日が浅い昂輝に、話してくれなくっても可笑しくないことである。
昂輝は思う。
憑き姫が隠したのだから、自分が暴くようなことをやらなくっても良いだろう。そっとしておこう。いずれ、もっともっと親しくなれば本当のことも話してくれるはずだと考えた。
古びたアパートの前から去ろうとする昂輝。自分が住む砂壷荘の方へと歩き出す。
ちなみに、憑き姫の住むアパートよりも、砂壷荘の方が古くてみすぼらしい。
もう一度振り返る昂輝。アパートの裏手から明かりのついている二階の窓を見上げた。
直後である。
一室の窓がガラリと開いた。
中から洗濯物を乾そうとしている憑き姫が顔を出す。
路上の昂輝は、偶然にも電信柱に設置された電灯の真下に居た。スポットライトのように照らされている。
路上の昂輝と、窓から顔を出す憑き姫の視線が合う。
固まる二人。時間が止まった。
憑き姫の可愛い顔が、引きつりながら硬直している。昂輝も似たようなものだ。
いたたまれなくなり昂輝がゆっくりと顔を反らす。
憑き姫は、ゆっくりと窓を閉めた。続いてカーテン閉めたが、彼女のシルエットは窓の前から動かない。
昂輝が家路を急いだ。
明日も仕事である。
巨大門事件を解決しなくては――。
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