1、最後の日

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    「ねぇ、けい」 それは相変わらずゆっくりとした、もう何度も耳にした声だった。声がこちらに伝わるのに掛かる時間も、普通の人より長いんじゃないかと思う。丁寧に紡がれる言葉一つ一つが自分の耳に届く度、自然と頬が緩んだ。少し高い、ゆずの澄んだ声。 「…けい、聞いてるの」 「うん、聞いてる」 ゆずの声に聞き惚れてたんだよ、と微笑めば丸い頬を仄かに染めながら、呆れたように小さく息を吐いて手にしていた文庫本を差し出してきた。 「ね、けい。これ読んだ?」 「まだだけど。新しく買ったんだ?」 こくんと頷いて、ゆずは嬉しそうに笑った。 最初に、本の虫だったのはこの僕だった。だけどいつの間にか、ゆずの方が文字の世界の虜になっていた。今では僕より沢山の小説と出会っている。物語に浸るゆずの瞳はいつも輝いて無邪気だった。 「この前買ったの。短編集になっててね、ちょっと悲しいお話」 「へぇ。どう、好きになれた?」 「うん、もう全部読んじゃった。…あのね、けい」 「なに?」 どうやらゆずは小説の内容や評価について話したい訳ではないらしい。相変わらずゆっくりとした喋り方に、ちょうどいいタイミングで相槌を打った。 
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