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表向きは大手の食品チェーン会社として経営されているこのビルの社長は、まだ三十にもならない青年である。
大きな嵌め殺しの窓から見下ろせる街並みは、大地震の影響から立ち直り、元の色を取り戻しつつある。人々が歩き回る様子を黒い点としか認識できないほどの高さからそれを見下ろしていた青年は、まるで汚いものでも見るかのような目つきで下界を一瞥し、薄暗い室内へと目を戻した。
黒い革張りのソファに深く腰掛けて、持て余し気味の足を組む。
どこか不気味で、ある種の神秘性すら感じさせる青年の前にあるのは、いつでも彼に対する畏怖と驚異の念。満足げに頬を歪めた青年が、半ばまで上がりかけていた口端を元の位置に収め、無表情をとりもどすのに、時間はかからなかった。
いつからいたのか、部屋の隅に長い黒髪が見える。首の後ろで纏められた髪が、彼女の瞳の鋭さを引き立てていた。
美しいというよりいっそ凛々しいそれは、青年の楽しみのひとつでもあった。
自分に従いながら、決して相容れぬもの。
唇を噛み締めて自分に従う姿が、面白くて仕方がない。いずれこの娘は、自分に刃を向けるだろう。
---楽しみだ。
「滝原たちが動き出したわ。やはり蜂くらいじゃ足止めにもならなかったようね」
少女にしてはややハスキーな声が、揶揄を含んだ口調で男に語りかける。男は軽く口端を歪めてみせるだけで、何かを言おうとはしなかった。
その、冷たい笑みに気おされて、少女がグッと息を呑む。
危険だ。
どこからか聞こえてくる、警告の声。
この男は危険だ。お前はきっと崩壊する。
(そのぐらい、わかっている)
彼女には、わかっていた。
自分の力を所望するこの男が、どれだけ危険なのかということは。
自分はきっと、壊れてしまう。
自分にとっても、世界にとっても。
この男は、危険極まりないだろう。
しかし、必要なのだ。彼女が最も大切なものを守るためには、彼の力が必要なのだ。どうしても。
あの、男の。
許しがたい、殺しても殺したりない、あの男から。
守りきらねばならないのだから。
---今度こそ。
そのためには、世界だって利用してやる。
「それで? どうするの?」
大きく息を吐き出しながら、彼女が問いかける。恐怖に震えていることを、知られたくはない。
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