二章

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 奏華が札を掲げて咒を唱えると、女は白い腕を一振りして取り出した比礼を平たい盾とし、男は同様に取り出した比礼を大振りの剣に変える。  前方から黒い霧が漂ってきた。悟や双牙よりも二周りは大きく見えるそれは、悟にも知覚することができた。それが近づくたびに、結界によって阻まれていたはずの、鼻が曲がるような刺激臭は強さを増していく。  奏華は胸元から取り出した札を地面におくと、抜き身の草薙をその上から突き刺した。その柄を、双牙より動けそうな悟に握らせる。 「絶対に離さないでください」 「わかった」  再び強固になった結界のおかげで少しは楽になった双牙が、大きく息をつく。それを見届けてから、奏華は結界から足を踏み出した。式神二体が、剣で霧を払い、盾で接近を防ぐ。だが、如何せん形のないものだ。全てを防げるはずもなく。  一気に膨れ上がった霧が、全てを包み込もうと大きく広がって落ちてくる。意思あるそれが無防備な奏華を取り込み、悟たちを守る結界へぶつかる。 「くっ……」  目の前で光が弾け、柄を握る手に力をこめた。鈍く痛む頭を押さえる双牙の耳の奥に、不協和音が響いた。  音はやがて形を変え、はっきりとした声となった頃、必死で草薙を握り締める悟にも聴こえてきた。 (カエル……ンダ) (カエ…リ・タイ……) (ココ、カラ……デテ・イケ) (ジャマヲ・ス。ルナ)  複数の声。  鬼哭。  目が回る。  息が詰まる。 「な……に? 何のことだよ?」  呼びかけを試みるが、霊力のない悟の声が、ましてや他の意見など聞き入れることのない死霊に届くはずがない。  この世に留められ、行き場のない魂たちの叫びは、尚も激しく悟たちを責めつける。 (ジャマヲスルナ!) (オマエラナドジャマダ! イネ!)  怒号とともに再び勢いを増した霧が、結界をその内へと取り込む。  黒く、沈みゆく、世界。 (暗い……)  真の暗闇とは、このことだ。  ただ一筋の光もなく、あれだけ聞こえていた声もなく、小さな物音ひとつ立てることさえ躊躇わせる。  それでも自身を失わずにいられるのは、手の中に草薙があることと、なんとなくとはいえ、双牙や奏華の気配を近くに感じられるからだ。 (このまま、死ぬ、のかな)  不思議と怖いとは思わなかった。  光のない、暗闇の中で。
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