三章

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 まだ昼間だというのにブラインドを下ろした室内は信じられないほど暗く、寒い。冷たいともいえる空気の中に、少女の長い髪がさらさらと音をたてて流れる。 「持ってきたわ」  感情のない声で告げ、ソファで足を組んでいる男の腕の中へ勾玉を落とすと、彼女は壁に背を預けた。男は暫くソレを興味深げに眺めていたが、やがて満足そうな笑みを口端に上らせ、大きなクリスタルガラスのテーブルにそれを広げた。周りを呪符を並べて印を結ぶ。何か唱えているようだが、はっきりと聞こえなかった。  淡く明滅を繰り返す勾玉は、まるで必死で抵抗しているかのようだ。しかしそれも束の間、焼けるような音がしてテーブルの上の勾玉が融け始める。儀式が進行するのを醒めた目つきで一瞥して、少女はゆったりと、笑みさえ浮かべている男に嫌悪のまなざしを向けた。勾玉から発せられる光で闇に浮かび上がる端正な横顔は、ひどく愛しげにも、残酷にも見えた。 (ぞっとしないな)  心の中で一人ごちる。  どうにも、この男の本心が掴めない。  なぜこの男は、こんなものを必要とするのだろう。確かに勾玉をはじめとした神器の力はあるにこしたことはないのかもしれない。だが。  ないからといって、どうなるものでもない。  神器などといえば聞こえはいいが、これは『楔』だ。もっというなら『贄』なのだ。はるか遠い昔から、気の遠くなるような時間をかけて、ゆっくりと壊れていった。  世界の。  ---それを知っているからこそ、彼の行動は理解できない。  神器を手に入れることに意味があるのか、それとも。 (誰かの手に渡ることを恐れて、……いや、違う)  恐れる、ではなく。  せいぜいが『いやがっている』というところだろうか。  融けきった勾玉から光が離れ、男の手の中で何度か点滅する。男がまた何言か口にすると、一瞬強い光を発し、少女が思わず腕で眼を覆う。再び眼を上げた時には、全く同じ形をした勾玉が二つ現われていた。  男はそのうちの一つを取り上げた。 「美有」  名を呼ばれただけだというのに、ぞくりと背筋を震わせた。 「これはもういらん。戻してこい」  投げられたそれを、ほとんど無意識に受け取る。  妙なところで律儀な男だ。  美有はだらりと長い勾玉を手首に巻きつけ、笑みを浮かべたままの男を見やる。 「今のところ、用はそれだけだ。あとは大事な娘の相手でもしておいてやれ」
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