エルトゥールル号遭難事件

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1890年、日本の和歌山県沖で、オスマン海軍のエルトゥールル号が、台風により座礁し水蒸気爆発を起こし沈没した。 死亡者は船長を始め約500名以上、この時生き残った人達は数十メートルある断崖を登り灯台に知らせた このとき、灯台の通報を受けた大島村(現在の串本町)の村民が、台風による暴風にもかかわらず救助活動をし、 台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出した。 献身的に生存者たちの回復に努めた結果、69名の乗組員が救助された この遭難事件の知らせを受けた当時の明治天皇は政府に可能な限りの援助を指示し 各新聞者はこのニュースを伝え、多くの義捐金や弔尉金が寄せられた。 その後帝国海軍の2隻の船によりオスマン帝国まで送り届けられた。 また、この救助活動がトルコへ伝えられトルコの人々は大きな衝撃を受けたと共に トルコの人々の対日感情に大きく影響し、これが起点となりトルコの人々の対日感情は非常によいものとなった。
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