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プロローグ
池袋駅近くの要町から雨の中、工事中の山手通りを渋谷に向かってタクシーは走っていた。
昼の12時近くは相変わらずの渋滞で、前を走るタクシーは次々に客を乗せて走り出す。
「ちくしょう、また拾われた」
タクシーの中でそう悪態をついた運転手は、豊島区のタクシー会社に勤めて3ヶ月の夜野礼司。運転手らしからぬ178センチのがっしりとしたタイプで、髪の毛は短く精悍な感じの男。
客の拾い方のノウハウをやっとマスターしてきたところだった。
礼司が操るタクシーは池袋を離れ、新宿方面を流していた。西武新宿線中井駅の陸橋を越すと、その先に傘をささずに雨に濡れた老婆が手を上げていた。
その姿は真っ白な髪に、もう5月だというのにグレーの手編風のショール、黒っぽいパンツをはいて、指先の切れた茶色の手袋をしていた。
「やった」
礼司はハザードランプをつけて車を左側につけ、後部ドアを開いた。
しかし、一向に座席に入ってくる様子がなかった。
「あれ? 気のせいか」
と思い、礼司が後ろを振り向くと、今まで見えていた老婆の姿はどこにもなかった。
その間に後ろから来たタクシーが先で手を上げている男を乗せていた。
「ああ、また先を越された。ホント、今日はついてない」
礼司は後ろを見ながら右にウインカーを上げ車を発進させた。
しばらく車を走らせて中央線のガードをくぐると、また左側にさっきの老婆の姿が見えた。
今度はスピードを下げて左車線をゆっくり通ると、頭をゆっくり下げていた老婆の姿が、助手席の窓から見えた瞬間に消えた。
「うん?」
と礼司は小さな声でつぶやき、すぐに納得した表情で言った。
「なるほど、そういうことね。それじゃあ行きましょうか」
礼司はタクシーのスピードを上げた。
しばらく走ると、中野坂上交差点の手前で、真っ赤な傘をさして必死にタクシーを止める女性の姿が見えた。
前を走るタクシーはみんな客を乗せていて、水しぶきを上げながら彼女の前を通り過ぎて行った。
「OK、今度は大丈夫だ」
礼司はハザードランプをつけ、タクシーを赤い傘の女性の前で止めた。
「ありがとうございます。あの、NHKまでお願いします」
後部座席に座り、髪をかきあげながら女性は言った。礼司は「はい」と頷きながら、タクシーを発進させた。
「よかった、タクシーがなかなか捕まらなくて」
「そうでしたか、それはよかったです。僕はお客さんが拾えなくて」
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