-影ノ桜-

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春。 高校の入学式。 つまりは新生活の始まる記念すべき日。 【俺】こと陽月 泉霧(ひづき いずむ)もそんな新高校生の一人である。 「ふむ」 とは言ったもののそこまで実感の湧くものでも無い。 それ以前に高校よりも重要な要件があった。 入学式からクラスでのホームルームも終わり、下校の時刻。 学校から歩いて五分の場所に“それ”はあった。 思わせぶりに言う必要は無い、ただの喫茶店だ。 今日まで祖父がマスターを勤めていた喫茶店。 だが今日から【俺】がここのマスターだ。 ことの始まりは昨日、六十そこそこながら老いの仕草の欠片も見せない祖父陽月 龍鳳(ひづき りゅうほう)がそろそろ店のマスターを辞めたいと言い出した。 だが両親は二人揃って海外を飛び回る仕事をしており、とても喫茶店を経営できる状態ではない。 かといって祖父が店を手放す気は無く。登下校に便利な自宅を手放すほど【俺】もバカではない。 そんなわけで【俺】が高校生になった今日からここが【俺】の店となる。 とは言っても昼の営業はほとんど祖父任せで、【俺】の出番は夕方から閉店までの短い間なのだが。 「ただいま」 ドアを開ければチリン、チリン、と客の出入りを知らせる鈴が鳴り、同時に…。 「おかえり、泉霧」 祖父の低い声が出迎えてくれる。 店を見回せば客はまばらだが。ちらほらと見かける顔もある。 「帰ったか、泉霧」 スーツ姿に眼鏡をかけ、長い黒髪をひとまとめにした女性から声をかけられる。 カウンターに座った女性の前にはコーヒーと複数の書類とパソコン。 「また仕事に行き詰まったのか?花子」 「いい加減に敬称をつけんか。小僧」 彼女の名前は花子・獅子学高校・トイレット。 まぁトイレの花子さんな訳だが……。
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