藤川問答

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 障子の前で膝をつく近習を後目に、中務は竪框に指をかけ、いささか無礼にひきあけた。おそらくこの屋敷で唯一であろう畳敷きの、六畳ほどの書院である。庭――というよりは、山林を望む、手狭な部屋に、彼はいた。 「これは、中書殿。ご足労おかけして、あいすまぬ」 「俺が刑部の顔を見たくなったのだ。気を使ってくれるな」  近頃はすっかり他人行儀に改めていた言葉づかいを、あえて崩してやると、刑部はすこし笑んだようだった。見えなくなったせいか、いささか表情が出過ぎる――と言って、盲いてよりこちら、刑部は顔を隠すようになった。そのせいで、あらぬ病の噂が流れているのを、きくたびいちいち訂正していたこともあったものだ。 「どうだ、具合は」 「近習どもが過保護にしてくれるので、風邪もひきませぬ」  ふふ、と刑部は軽く笑った。案内してくれた近習が障子を閉め、下がる気配がある。盲目の主を置いて、不用心なことだ。  過保護、といったとおり、刑部の尻には座布団が敷かれている。確か、太閤がまだ存命のおり、刑部の体を案じて下げ渡したと聞いている。とかく太閤に好かれた男だった。寵愛のわりに敵を作らぬのは、やはりこの男の人徳といって差し支えないだろう。  むかいに敷かれた座布団の相伴にあずかり、中務は、さて、と思案した。  用意よく脇に置かれた白湯を啜り、一呼吸すると、面倒になる。 「佐渡から伝言だ。降れ、とよ」  だから、簡潔にそう言った。  刑部はすこし首を傾げ、また、軽く笑った。 「その儀は、お断りしたはずなのですが」 「あれもしつこい男だからな。諾というまで諦めぬだろうさ」 「なるほど」  神妙に頷く。中務のことは聞かぬ。知っている、そういうことだろう。話が早くてよい。 「俺も言ったのだぞ、一応。無駄だと」 「中書殿には、隠し事はできませぬな」 「付き合いの長さだけは、市正の次くらいだからな」 「そうでした。――そうでしたな」  見えぬ目を開き、刑部はすこし感慨に耽る色をのせた。彼の瞳は、紅毛人のように色が薄い。光に弱いのだと、むかし、聞いたことがあった気がする。盲いたのも、あるいはそのせいかもしれぬ。
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