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「お前は、気は回るのに、世渡りは下手だな」
「……たまに、言われます」
「いいのだ。そういうところが、たぶん、好かれるところなのだろう」
死なせるには、いかにも惜しい男だった。生かしたならば、それなりに、働きもする男だろう。だが、中務は思う。
はじめからのことといえ、寝返りは寝返りである。巷間に蔓延る軍記物を紐解けば、後世の扱いは、まあ、知れたものだ。誰もが前田大納言のようになれるわけではない。
子孫には悪いが、中務は割り切っている。が、刑部がそのように取り沙汰されるのは、あまり想像がつかなかった。
「……義によって、と」
ひとりごとのように、ぽつ、と刑部はこぼした。
「義によって。そう言えばよいのだと、因幡殿に諭されました」
「そうか」
「いまさら内府殿に通じたとて、後世の誹りは免れぬでしょう。まして、私は治部と並んで名を記した。これで己だけ口を拭おうなど、末代までの汚名となるものです」
静かに語る刑部の目を、じっと見つめた。琥珀のように、斑がある。焦点を結ばぬその目は、中務にはひどくもの悲しい。
黄金にも見えるその瞳を、気味が悪いと揶揄する者もあったが、中務は美しいと思っていた。
「手向かいせねば、俺の説得に応じていたのだと言ってやる。佐渡にも、そのように手配できるよう、伝えておく。――俺はな、紀之介よ」
懐かしい名を呼ぶと、年甲斐もなく若返ったような気がするから、不思議なものだった。
しがらみなど、片手で押し退けてしまえた日々を、懐かしく思い出すことも、これからは増えるだろう。
「できればお前に生きて欲しいが、散るなら、せいぜい格好良く散ってくれよ。俺が語り甲斐のあるくらいに」
「かたじけない。――甚内殿も、御武運を」
下げた刑部の頭を、押さえつけてやりたい気もしたが、やめておいた。
かわりに、ふたつ肩を叩いて、そのまま辞した。
暮れ頃から、雨になった。
藤川に、朝霧を誘う雨だった。
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