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一式戦闘機「隼」
第二次世界大戦時に活躍した大日本帝國陸軍の戦闘機
愛称は「隼」
試作名称はキ43
連合軍が付けたコードネームは「Osar」
開発・製造は中島飛行機
。総生産機は5751機で、日本軍の戦闘機としては海軍の零戦の次に多く、陸軍機の中では第一位の生産数
開発の経緯
九十七式戦闘機の後継機としてキ43が開発された。
しかし試作一号機の試験飛行では九十七式戦闘機に比べ航続距離と最高速度は上昇したが、最高速度は要求速度には達せず、旋回性能が劣る事が判明したため、一旦採用を見送られた。
しかし大平洋戦争が避けられない情勢になり、南方作戦において遠隔地まで爆撃機を援護できるキ43を改修して正式に採用した。
当初一式戦闘機の知名度は低かったが、「隼」という陸軍初の愛称を付けてから次第に親しまれていった。
飛行性能
最高速度・上昇力は連合軍新鋭戦闘機に比べて劣っていたが、加速性能は第二次世界大戦終盤の米軍戦闘機にも劣らない高性能な機体だった。
武装は12.7mmの機関砲を二門搭載していたが全体的に火力不足だった。
加藤隼戦隊として有名な加藤建夫中佐が撃墜されたのも火力不足を補うために爆撃機に接近しすぎた為だと言われている。
活躍
大戦中は主に東南アジア方面で活躍したが、末期には一部特攻に利用された。
また終戦時に中華民国や仏印など現地軍が摂取したり、 大戦中にも満州国軍やタイ王国軍などにも供与されているため、一式戦闘機は最多く外国軍に使われた日本製航空機である。
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