平成の戦艦大和

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日本海軍の徹底的な攻撃で12月8日の12時過ぎに中国海軍の空母は撃沈された 上空援護のない艦隊と空母6隻を含む艦隊では勝ち目はなく、13時10分に退却を始めた しかし決断が遅く日本海軍艦載機が猛攻撃を仕掛けてきた 時間差で2.30機ずつの編隊で攻撃をしかけた 中国本土に帰れたのは 駆逐艦 6 フリゲート 10 ミサイル艇 40 潜水艦 20 揚陸艦 8 輸送艦 2 補給艦 1 であり大半が撃沈、一部が漂流中に拿捕された この大敗北は十年以上反日運動で押さえつけてきた共産党政府への不満を噴出させた チベット・ウイグルでの独立運動の激化、大都市圏で相次ぐ政府へのデモ しまいには南京軍区の一部隊が反乱を起こし、それが南京軍区へ四川軍区へと広がり、中国の分裂が始まった。それと同時に台湾が新国家台湾民主国の建国を宣言した 中国は六つの国家に分かれ、戦争を続けてられなくなり第二次日中戦争は実質一日の戦闘で終結した 正式に終戦となったのは年が明けた1月6日だった 日本は台湾民主国、チベット共和国、ウイグル共和国と国交を結び、これらの国は中国ではないとの見解を示した 世界はこの流れに沿って動いていた 戦艦大和はこの五年後に退役し、呉軍港で博物館として保存された
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