平成の戦艦大和

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撃ち落とした機体の残骸には北朝鮮の国旗が描かれていた そのため北朝鮮を問いつめたところ「日本艦隊が領海内に進入してきたため戦闘機を偵察に向かわせたところ撃墜された。非はそちらにある」と言ってきたからレーダーの記録その他を見せて公海上での出来事だと知らしめても偽造だと言って引かないため国民感情が激発。開戦は避けられない情勢となっていた 事ここに至り日本政府は陸海空軍に臨戦態勢を命じ、韓国の領海内通過許可を求めた。 領海内通過許可は出され、佐世保の第二艦隊に黄海に向かわせ、第一艦隊を今まで通り日本海側からの攻撃に使うことにした。 1997年3月13日に最後通牒を北朝鮮に手渡し、日本国防軍は戦闘態勢に入った。 最後通牒を手渡してから1週間後の3月20日、三沢と発進した爆撃機20機と護衛の戦闘機30機が平壌に、小松から発進した戦闘攻撃機20機が元山に向かい爆撃を行い日朝戦争が勃発した。 この爆撃で平壌の軍高官と政府高官の一部が死亡し、元山の軍事基地が壊滅した 日が明けた後には空母から飛び立った戦闘機が反復攻撃し北朝鮮の空軍基地を潰し、わずか1日で北朝鮮全土の制空権を取ることに成功した。 3月22日未明には韓国陸軍が38度線を突破し祖国統一戦争を始めた。 日韓連合軍に北朝鮮が勝てるわけもなく中国に援軍を要請したが、中国軍が出動する前に朝鮮民主主義人民共和国という国は韓国によって滅ぼされて朝鮮半島は統一、朝鮮半島全土が韓国によって統治されることになった。 こうして第二次朝鮮戦争は僅か10日で集結した。
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