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第二次朝鮮戦争後、朝鮮半島がアジアの火薬庫と呼ばれていた極東情勢は刹那的な静寂が訪れた。それも朝鮮半島が統一されたことによるだろう。
しかし、天安門事件後反日活動を積極的に押し進めて事あるごとに日本と対立を深めていった中国の存在が第二の火薬庫となりかけていた。
第二次朝鮮戦争の前年の1996年には台湾初の総統選挙が行われた。この選挙の時期に中国は台湾の対岸に弾道ミサイル発射機、陸軍六個師団、海軍艦艇の大多数、空軍の最精鋭を集結させるほど台湾の民主化に警戒し、いざというときは攻め込まんとしていた。
その空気を察した李登輝総統がアメリカ海軍第七艦隊の出動を求め、日本海上国防軍第一艦隊にも出動を求めた。
アメリカ第七艦隊と日本第一艦隊の二個機動部隊に睨まれた中国は軍を動かすことができず、台湾の民主化を座して見ていることしかできなかった。
日米台連合に中国軍は手も足も出なかったという情報が英領香港から漏れて共産党の威信に傷を付けることになり、中国の孤立化が進んだ。
第二次朝鮮戦争終結後は緩衝地となる国がなく、中国は経済大国となることもなく苦しい予算の中から軍事費をひねりだした。だから国民生活に悪影響を与え、北京や上海のような大都市でも政府に対する不満が噴出していた。そのため中国政府は戦争という手段で国民を纏めようと画策していた。
案としては対台湾、対韓国、対日本が上がるも日本を蔑視していた中国政府高官は「小日本鬼子に我が中華が負けるわけがない」と高をくくり対日戦へと傾いていた。"日"米連合艦隊に手も足も出せなかったことを忘れて。
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