『彼』の失った時間

4/72
前へ
/1506ページ
次へ
「でね、ケンちゃんが連れてってくれたのが……」 2年B組、新しい教室で当然のように沙弓の隣に陣取った雅は、春休みの彼氏との思い出をツラツラと語り出した。 新しいクラスでは順番に自己紹介が始まっていたが、それを聞く気などないらしい。 「羽賀さん」 新しい担任が雅を呼んでいる。雅はそれに気付いているのかいないのか、惚気話を続行している。 「その後のケンちゃんったら可愛いの。帰り道にね」 「羽賀さん!」 「み、雅!雅の番だってば」 大きな声に、沙弓の方が焦ってしまった。 まだ30手前だろう若い女性教師は露骨に眉をひそめていた。 「……あ……」 そこで初めて担任の顔を正視した沙弓は、思わず声を漏らしてしまった。そして慌てて目を逸らす。 「……チッ」 雅の舌打ちが聞こえた。 彼女は担任教師の視線に対抗するかのように、思い切り不機嫌な顔で立ち上がった。 「羽賀雅。よろしく」 それだけ言ってドサッと座る。 明らかに雰囲気が悪くなるのを、沙弓は肌で感じていた。 (あぁ、もう……) なんだか頭痛がしてくる。 結局その日、沙弓は担任と目を合わせることが出来なかった。
/1506ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42016人が本棚に入れています
本棚に追加