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店員は村田にビールを提供すると、自然に私達から距離を取った。
それは、この仕事を長年続けて来た者故の直感なのだろうか。客が漂わす不穏な空気を機敏に悟り、会話が聞こえない位置へと移動した、そんな風に見えた。
恐らく、彼のその判断は正解だったろうと、私は思う。
村田が、世間話的な他愛も無い話題をつらつらと洩らしながら、タンブラーに注がれたビールを一気に呷る。
その一瞬、村田は無防備に脇腹を私に見せる。
私は、自分の背中とスツールの背凭れの間に潜ませたバッグにすっと手を入れる。
既に剥き出しの状態で収められた刃物の柄に、指先がつと触れる。
口腔内に、異常な程に溜まった生唾を飲み下す。
嚥下する際に、『ごくり』という音が私の体内に木霊し、それが周りに聞こえたのでは無いかと肝を冷やす。
バッグの中で、柄に触れる指先が小刻みに震えているのが判る。
村田は、ビールを飲みながら何かを喋っている。
だが、その声が聞こえているという認識は在れど、内容は全く頭に入って来ない。
──だからさ、やっぱり……。
俺もあれから色々考えたん……。
友理絵の事が忘れられな……。
もう一度考え直して……。
俺達、やり直してみ……。
村田が口にする全ての言葉が理解出来ない。
──次に。
次に村田がタンブラーに手をやったら。
黄金色の液体が、それを再び満たしたら。
彼の右手がそれを持ち上げ、無防備な脇腹が目の前に現われたら……。
私は躊躇する事無く、この冷たく無機質な金属を、彼の肉体へと突き立ててやる。
それで。
全てが、終わる。
心の中で、今夜の目的をゆっくりと反芻してみると、手の震えは不思議と治まった。
私は、背中に回した右手でバッグの中の刃物をしっかりと握り直した。
「──とにかくさ、フジビジョンのゴールデンで特番の枠が取れたから。タイトルは、色々悩んだんだけどさ、
『アルビノ・コンプレックス』
に決めたよ」
覚悟を決めて、まるで風の無い水面の様に穏やかだった私の心が、突如として波打った。
覚悟を決めた事によって、彼の言葉が理解出来る様になった瞬間の出来事だった。
村田の放ったその言葉が、私の心を一気に波立たせる。
「……何? 今、何て?」
村田がタンブラーを呷り、無防備な脇腹が目の前に拡がる。しかし、私の右手は金縛りに遭った様にぴくりともしない。
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