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そんな、ぼんやりとした私の思考が、突如として遮られた。
「村田さん!」
大声を張り上げたのは、穂波という少女だった。
黒いブランド物のバッグをしっかりと両手で掴み、きっと強張らせた表情は、某かの決意を秘めている様に見える。
その彼女のすぐ後ろには、坂本少年が狼狽した面持ちで佇み、しきりに穂波の右肩を揺すっている。
「穂波ちゃん、やめろって──」
「村田さん!」
再度上げられる彼女の声に、少年のか細き抵抗は消し去られる。
村田は、私が座る方向を経由してくるりとスツールを回転させ、座ったままで彼女の呼び掛けの声を捉えた。
……村田が酔い始めている。
この男と、短い期間ながらも男女の関係を持っていた頃にさんざん目にした光景だ。
目の周りが赤く染まり、眼光が少し、座った様なくすみを見せる。
これは、この男が酔い始めた兆候であった。
さほどアルコールに強い訳でも無い癖に、やたらと急ピッチで酒を呷っては周りに迷惑をかける。
それが、この村田という男なのだ。
「今日ここにあたしが呼び出された理由って何なんですか?」
穂波が、詰問口調で村田に迫る。
「何って、そりゃあ──」
「村田さんが本当に用があるのは、ここにいる坂本君なんじゃないですか?」
村田の開きかけた口を、穂波の二の句が塞ぐ。
しばしの沈黙。
そしてまた彼女が口を開く。
「村田さんは、坂本君に近付く為にあたしを利用したんですか!?」
「いや、穂波ちゃん、ちょっと落ち着け──」
「あたしの初めてを返して!」
──場が凍り付いた。
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