岡田以蔵

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しかしそんな日も長くは続かなかった。 『八月十八日の政変』 この後、土佐勤王党は失速、武市が土佐に戻ると以蔵は名前を変え京都に潜伏、しかし土佐藩士に捕われ国に搬送された。 その頃土佐では吉田東洋の暗殺、上洛おける一連の暗殺事件について土佐勤王党がことごとく捕らえられ、上士格の武市をのぞき厳しい拷問を受けていた。以蔵も過酷な拷問を受けていたがついに全てを白状し、慶応元年(1865)五月十一日、打ち首晒し首となった。
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