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けれども、私は目の前の光景を目にし、タクシーから降りることを躊躇った。
黒木さんの自宅前は自慢の真っ赤なフェラーリが停まっている。
そしてその周りをコマチが楽しそうにはしゃぎ歩き回っていた。
黒木さんがそんなコマチを抱きかかえ、その横で黒木さんの奥さんが微笑む。
まるで、微笑ましいアットホームなドラマを見ているようだった。
その光景に胸が苦しくなり涙で景色がかすみ始めた。
(今からどこかにでかけるんだろうな……コマチあんなに楽しそうな顔してる)
「お客さんこちらでいいんですよね?」
不審に感じた運転手がミラー越しから私に尋ねてきた。
(コマチも、私じゃなくてもいいんだ……本当はコマチも一緒に連れて行くつもりだったけど──)
私は声にならない声を絞り出すように言った。
「す……すみません、行き先を変更します。あ、あの、○×県の白金荘までお願いします」
すると、運転手は、すぐさまそれに応じサイドブレーキを戻しアクセルを踏んだ。
タクシーは黒木さん夫婦とコマチの横を過ぎ私の伝えた白金荘を目指した。
(誰もいない場所で、自分を見つめ直そう)
私はそっと目を閉じ哀調を帯びたまま深い眠りについた。
(私がいなくなっても誰も心配しない……司さんも……みんな……────)
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