今何を思う

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 時代の流れと軌跡を歴史という。  人はたった一度の生にあらゆる歴史の足跡を背もたれにして今という歴史を歩む。  遥か遠い時代に起きたあらゆる戦乱と、その時代を駆け抜け後世に名を残した者へ惹かれるのは、史実という現実味を薄れさせた“現実”が見事曖昧な中で身近に触れる事ができるからではないだろうか。  もし本当に、目の前で血を流す多くの残骸をかい潜りながら殺意に満ちた槍を向けられたなら、自分はどうするだろうか。  もし本当に、目の前で家屋を荒らし回り次々と襲う武装団が現れたとしよう。その中に、我は正義と言わんばかりに猛威を振るう者が家族や友人を殺戮するとしたら。けれどその人物じたいは実はとても情が厚く、義を貫く明るい人柄で頭の良い人だとしたら――。  だがその時その瞬間ではまだ歴史に名を残す程の相手ではなかったとしたら……。  思考が止まった。  何故なら、一瞬のうちに幾つもの枝分かれした回路が広がり、この単発な活字に絞り込む言葉が定まらないからだ。  過去における史実で名を残した者の全容は、様々な角度からその行いの意味や志しを知る事が出来る。しかしそれは、未来を生きた者だけが勝ち取れる材料でありベースである。  つまり、今現在において相手の事を全てとは言わずとも背後関係や志しを知る事が出来れば、自分自身の立ち位置も定まるだろう。  情報社会に生きる我々のこの時代を、後世の人はなんと見るのだろうか――  
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