2009.10.21

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 どんなに時代が変わろうとも変わらない普遍なるものを見極める事が出来る者は幸いである。  魚の鱗だけを見て全体を見る事は出来ない。けれどそれが本物か偽物かを見極める力を持つ者は幸いである。  しかし通常はそう簡単ではない。ならばどうすれば分かるのか。答えは簡単だった。食してみよ。食して初めて偽物か本物かが分かる。噛み締めてみたか。噛み締めてよく味わい、奥に染み込んでいた旨味を見つける事が出来たならばそれこそが真実なのだろう。だがひとつだけ注意しなくてはならない。味付けという先入観を加えるな。素材を感じたままに素直に受け入れれば、たとえ魚を進めた者を信用出来なくても己の舌は確かであろう。  今は味付けたものが多く、世界を跋扈し、我らの舌を鈍らせる。  それが病へと導くとは考えずに。  味付けていないのに味付けたものだとさえ疑う己の舌は、それ程まで鈍ったのだと思えばよい。どんなに邪道だと言われても、真実の味を知るものはいつか真実の友を得る。その数は少なくとも、生涯誇れる友となろう。  その旨味が多く知れ渡れば知れ渡る程、反発と慟哭の粗塩をぶつけてくるであろうが、黙して首を縦にふる者も同時に現れるであろう。やがて共感した席が宴となり多くの者で賑わい、共に日の出を迎える仲間となろう。  だから焦るな。臆するな。  ただ味わえ。高みを屠り貪り我が血肉に変えよ。その身が朽ち果てようとも、人々の記憶には残り、自らは魂に刻まれよう。  真実を知り、広めた事の偉業をこの時代に残せ――。  
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