2009.11. 8

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 言葉の数は限られていた。日本語程、豊かで多岐に渡る言葉は無いのではないか。  外国人のリアクションがオーバーなのは理由がある。  言葉だけでは自らの気持ちを表現しきれないからだ。各国の言葉にはそれぞれ意味合いがあるのだろうが、日本語はその意味合いを更に紐解く言葉を用意している。  何の変哲もない単文字を重ねて生まれる言葉。  繋ぎ合わせた言葉の羅列に目に見えない何かが宿れば、それは相手の心の琴線に触れる。  不思議なものだ。  例えば外国の言葉等も音が同じであっても並びが違うだけで分からないというのにその訳を知る事によって自分の国の言葉に一瞬にして意味が変換され疎通する。  だが例えばそれが意味を成さないものであれば疎通は無い。ただの訳しただけの単語へと成り下がる。  世界の論理や摂理、又は目に見えない見た事もない何かを伝える為には複雑極まりない言語が必要不可欠なのかもしれない。世界が複雑であればある程。その世界観に見合っただけの数と質が。  もし、今の時代に過去の偉人や聖人が生まれ落ちるとしたら。一体何処に生まれれば効率的だろうかと考えるのではないだろうか。  地球の歴史的観点で見れば、今は人口密度や情報網はすこぶる高い。そんな現代に、もし生まれ落ちるなら。  そんな他愛のない事をふと考えた。私は辿る。  アメリカなら世界的な権威が象徴されやすくて良いのでは? いや、しかし言葉が足りない。ならば過去に生まれた国では? いや、発展的な視点で見れば名声は国内又は地域内でその任務を終えてしまうだろう。現代は昔ほど簡単ではない。 科学が発展したのと同時にずる賢い者も増え、過去の聖人のように偉業を取ろうと様々に手を尽くしている。国によって多少の違いはあれど身分などの関係性は低く扱われ、皆が新しき発見と共に自己表現出来る自由を勝ち得ている。勿論それは過去の偉人達の活躍あっての今であるが。  現代では未開発の貧しき地域で聖人君子の如く振る舞い何かを成し遂げても、尊敬の念で生涯を終えるだけだろう。  時代をつくる人となるにはかなりのエネルギーが必要となる。  そう考えると、行き着くのは日本が妥当性は高い。高いが猜疑心の強い者が多い。情報網も医学も科学も言語も文化も、総合的に見て日本が今はいいだろうが……  偉人聖人は何処へ……  
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