はじめに

2/2
30860人が本棚に入れています
本棚に追加
/170ページ
これは今から十数年前に僕が福岡にいた時の話です 高校を卒業した僕はわずかな貯金を持って実家を出ました 博多区諸岡の線路沿いにある家賃2万のアパートに住み、派遣社員として運送会社の倉庫でバイトをしながら細々と暮らしていました その頃の生活は悲惨でした 日給は多い時で5千円、少ない時で2千円ちょい 週に5日仕事があったが、曜日はバラバラで前日にならないと明日の仕事の有無が分からなかった為、仕事の掛け持ちもできなかった 結局月に8~9万で生活していた 食事はフランスパンが主食だった おかずは卵や「ごはんですよ」が多かった たまに余裕がある時はシーチキンだった 水道、ガスが止められる事は日常茶飯事 ガスは仕方ないが当時水道はメーターの横のネジを締められるだけと言う事に気づいて、マイナスドライバーでネジを開けて使っていたが、ある日メーターを持って行かれて仕方なく水道局に金を払いに行ったらこっぴどく叱られた事もあった 貧乏話は他にも山程あるのですが書いていて悲しくなるのでこれ位にします とにかく酷い生活をしておりました 何故他に仕事を探さなかったのかと突っ込まれそうだが理由があった 当時僕はアマチュアバンドを組んでいた 髪の毛を脱色してマッキンキンにしてブライアンセッツァーばりのウルトラリーゼントにしていた普段は後ろで一つ結びにしていたのだかそんな頭ではどこも雇ってくれなかった その派遣会社はとりあえず登録はしてくれて事情を話すとこの運送会社は外見をあまり気にしないと言う事でなんとかありつけた仕事だったのです しかしある日突然派遣を打ち切られ無職になります 理由は先方の運送会社と僕がいた派遣会社との契約切れらしい… お金に困った僕は求人情報誌anを隅から隅まで見ていました 見つけました! 日給8千円以上 日払い可 夕方18時から深夜2時まで 週休2日、臨時手当て有 場所は中洲 (中洲と言う場所は福岡を代表する繁華街です) 「屋台きんぱち」 何となく「夜の中洲で屋台」と言う事がかっこよく思え すぐにでも現金が欲しかった僕は迷わず電話をして面接の約束を取り付けた それからすぐになけなしの金を持って散髪屋に行き、面接の為にウルトラリーゼント用の長い髪を普通にリーゼントにできる位の長さにバッサリと切ってもらった 今思えばこの電話が後々僕の人生で最も大変だった時期の始まりだった気がします
/170ページ

最初のコメントを投稿しよう!