古事記の間。

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ここからオオナムチは大国主となり出雲を平定しますが、この時代は一夫多妻制の時代であり、大国主はスサノオの娘であるスセリビメを正室に迎えます。 順番的には因幡のヤガミヒメの方が正室にふさわしく、また子供も産んでいました。 では、なぜ因幡のヤガミヒメが正室になれなかったのか?というと、実はスセリビメがとんでもない嫉妬魔であり、ヤガミヒメはスセリビメの嫉妬に恐れをなし、子供すら置いて因幡へ逃げ帰ってしまっていました。 しかし、大国主は領土拡張をする毎に、その土地の有力者の女性と関係を持ち、百八十一柱の子神を産ませたようです。 簡単に言ってしまえば政略結婚というやつで、戦国時代では頻繁に行われていますが、古代からも政略結婚が行われていたんですね~。 しかし、こんなハーレム状態の大国主も一度だけ?フラれた相手がいました。 これは、大国主が高志(こし)国にヌナカハヒメという美しい女性がいると聞き、ヌナカハヒメに会いに行き、求愛の歌を贈りますが一度拒まれてしまい、翌日に結ばれるという話です。 本には書いてありませんでしたが、高志国というのは、後の「越の国」の事であり、さらに後の時代の越前・越中・越後の事と見て間違いないと思います。 また、大国主の遠征では、やたら結婚という平和的な征服をしていっていますが、間違いなく多くの血が流され、大国主の一度はヌナカハヒメにフラれたという話は、高志国において大国主が初戦で敗北した事を遠回しに表現しているのだと思います。 ヌナカハヒメは「沼河比売」と書くので、おそらく大雨による川の氾濫などにより、大国主は初戦に敗れたのだと思います。 さらに作者は古事記に、「美男・美女・ブスは出て来るがブ男が出てこないのは、古事記成立時が女帝の時代であり、女性受けする為に作られており、大国主のモテモテぶりは『源氏物語』の光源氏を思わせる」と書いてありました。 しかし、これは単純にブ男を出す必要もなく、大国主がモテるというのも先述した通り、鎮魂の要素が強く、詳細はさけますが源氏物語も鎮魂要素が非常に強く、古代での物語とは「モノの語り」であり、モノ(物)とは元来霊的な要素が強いです。
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