古事記の間。

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この二柱の神は伊那佐(いなさ)の小浜(現在の島根県出雲市の稲佐の浜)に舞い降り、タケミカズチは海の上に剣を逆さまにして刺し立て、剣の上であぐらをかき、大国主に国を譲るように言い迫りました。 これに対し大国主は「我が子の意見を聞いた上で決めよう」と答え、タケミカズチは大国主の子・コトシロヌシ(事代主)を呼び詰問すると、コトシロヌシは素直に国譲りを承諾しました。 これに続きタケミカズチは、大国主のもう一人の子であるタケミナカタ(建御名方)も呼び出し国譲りを迫ると、タケミナカタはこれに反対し、タケミカズチに挑み掛かってきました。 そして、タケミナカタがタケミカズチの手を掴み掛かると、タケミカズチの手は氷柱となり、刃へと変身しました。 これに恐れをなしたタケミナカタは、タケミカズチに腕をへし折られて逃走してしまい、ついに降伏してしまいました。 さて、この大国主からアマテラスへの国譲りですが、タケミナカタという神が出てきますが、この神は戦国時代でも有名な信濃・諏訪氏の氏神なんですね~。 つまり、タケミナカタは諏訪大社の祭神で、タケミカズチとの力比べに敗れ、現在の長野県諏訪市まで逃げ落ち、「この地から出ないから、命を助けてくれ」と頼み、その地が諏訪大社となったわけです。 さて次にタケミカズチですが、この神はヒノカグツチの子で、ヒノカグツチはかなり前に書きましたが、イザナキとイザナミの子でイザナミの陰部に火傷を負わせ、イザナミを死に到らしめた神で、イザナキがこれに怒りヒノカグツチを斬り、その血飛沫から生まれたのがタケミカズチでした。 このタケミカズチは、鹿島神宮に奉られており、その御神体は、二メートル七十一センチの巨大な直刀であったようです。 大国主は出雲大社に奉られていますが、この出雲大社は古代では日本一高い建造物とされていました。 古代には「雲太、和二、京三」という言い回しがあり、雲太とは「出雲大社」、和二とは「奈良の大仏」、京三とは「天皇御所」を表しており、日本の建造物を高い順に並べた物で、当時の人々が何を最も尊んでいたのかが伺えます。
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